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2013年9月 2日 (月)

Sacred 2|Character Editorで名前変更

Sacred 2を購入して自分の彼女の名前でPLAYしたりした勢いで友人とか昔の○○だとか、リアル人間関係で名前をつけてたのですが、いつまでもその流れってどうなのよ?でも、Sacred 2ってCharacterを作成したあとは名前変更も出来ないどころか、Buildも変更できないから「あちゃーっ、失敗した!」となったら最初から作り直さなければいけないという鬼畜仕様・・・
Sacred2130902000
そんな中、今更ななのですが禁断のCharacter Editorなるものを発見。
(いじって、壊れちゃいやしない?)

このEditor自体がSacred 2:FallenAngel用でSacred 2:Ice & Bloodに対応はちょっと甘いかも?でもフォーラムにSacred 2:Ice & Bloodでも大丈夫だったよ、なんて書きこみもあるし、恐る恐る慎重にバックアップとって名前変更してみると・・・おやっ、問題なく使えた?
えっと、じゃあスキルの取り直しも・・・あ、出来た!(笑)
難易度変更やEXPを自由に足せたりと、禁断のチートツール!なのですが、ご使用は自己責任で。
名前改定と、どうしても取り直したいスキルのときだけ使用するのが吉かと。

ということで、各国の聖人や吟遊詩人に英雄などから名前を拝借して全てのCharacterを改名しました♪

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ちなみに禁断のツールはこちら!
http://darkmatters.org/forums/index.php?/topic/16047-editor-for-fallen-angel-243-patch/
ドキドキしちゃいますよ!これ!
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火エルフ:イズミ:変更・・・なし
Sacred2130902001
ボクの彼女・・・というか妻なことですし、そのまま使用します。(笑)
(このBlogで登場する女性Characterは大体”イズミ”が基本になってます)
やっぱり、Characterの名前に昔の○○やデートした○○や○○な○○など、限界が出ますよね。歴史上の人物に設定してあれこれ想像するのも楽しいかと。
というか、ボクはこういうどうでもいいことにこだわりすぎてしまうようで・・・
でも、色々調べて楽しかったのも事実ですが♪
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トルバドゥール(Troubadour)とは、中世のオック語抒情詩の詩人、作曲家、歌手のこと。リムーザン、ギュイエンヌ(Guyenne)、プロヴァンス、さらに、カタルーニャ、アラゴン王国、ガリシア、イタリアで活躍した。女性のトルバドゥールはトロバイリッツ(Trobairitz)と呼ばれる。
いわゆる吟遊詩人のもと?

氷エルフ:アリエノール
Sacred2130902002

確か女性で一番最初に確認取れてるトルバドゥールだったような記憶が?
氷エルフにピッタリ?(笑)

ウィッキペディアより:
アリエノール・ダキテーヌ(Aliénor d'Aquitaine, 1122年 - 1204年4月1日)は、アキテーヌ公ギヨーム10世の娘でアキテーヌ女公。トルバドゥールで知られるギヨーム9世は祖父。自身もベルナール・ド・ヴァンタドゥールら吟遊詩人を庇護して多くの文芸作品を誕生させ、洗練された宮廷文化をフランス、イングランドに広めた存在として知られる。はじめフランス王ルイ7世の王妃、次いでイングランド王ヘンリー2世の王妃。クレティアン・ド・トロワのパトロネスとして知られるマリー・ド・シャンパーニュ、イングランド王リチャード1世、ジョンらの母。中世盛期の西欧における最強・最富な女性の一人であった。
Aliénor(アリエノール)は南フランスのオック語の名前で、オイル語(フランス語)でEléanor d'Aquitaine(エレアノール・ダキテーヌ)とも呼ばれる。英語ではEleanor of Aquitaine(エレノア・オブ・アクイテインまたはエリナー・オブ・アクイテインなどと表記される)と呼ばれる。

アキテーヌは宮廷愛やトルバドゥールで知られる南仏文化の中心地で、アリエノールはその雰囲気を十分に受け、音楽、文学、ラテン語と当時としては高い教育を受けて育った。弟ギヨームが1130年に早世したため、アリエノールはアキテーヌ公領、ガスコーニュ公領、ポワチエ伯領など、フランス全土の3分の1近くを支配する大領主の女相続人となった。1137年、父ギヨーム10世が旅先で急死し、遺言によりアリエノールの後見はフランス王ルイ6世に託された。ルイ6世は息子のルイ7世とアリエノールをただちに結婚させたのち死去、父の死から4ヶ月足らず、アリエノールは15歳でフランス王妃となった。2人の間にはマリー、アリックスの娘2人が生まれたが男子には恵まれなかった。
1147年の第2回十字軍に、アリエノールはアキテーヌ軍を引き連れ、夫ルイ7世と共に参加した。しかし、フランス軍が小アジアでセルジューク朝軍に惨敗した時、アリエノールが危険な場所で休息したがった為だと非難された。アンティオキアに入り、アリエノールが叔父のアンティオキア公レーモンを支援し、エデッサ伯領を奪回することを主張したのに対し、ルイ7世はこれに反対し、妃を拘束して、エルサレムに向かった。レーモンは戦死し、さらにダマスカスへの攻撃も失敗に終わって、2人はフランスに帰国した。1152年3月21日に近親婚であるとして婚姻の無効が成立、離婚した。

離婚のわずか2ヶ月後に、アリエノールは11歳年下のアンジュー伯・ノルマンディー公アンリと再婚する。ルイ7世とは近親婚を理由に離婚したが、アンリはルイよりも近い血縁関係にあった。後にアンリがイングランド王を継承してヘンリー2世となると、フランス国土の半分以上がイングランド領となってしまう。アリエノールのしっぺ返しだった。その後14年間に息子5人と娘3人を産み、夫と共に領土を統治しアンジュー帝国の拡大に務めるが、やがてヘンリー2世に愛妾ロザモンド(1150年以前 - 1176年)(en)ができると、1168年には自らアキテーヌへと戻り、別居する。ポワチエのアリエノールの城では吟遊詩人や騎士らが集い、ヘンリー2世との間の息子とその妃や婚約者、幼い娘達、さらに前夫ルイ7世との間の娘のマリーも訪れるようになり、君主や貴族の訪問も受け、華やかな宮廷文化が開花した。
1173年、ヘンリー2世の名目上の共同統治者となっていた次男の若ヘンリー王がルイ7世の庇護のもと、父の独裁に対して反乱をおこすと、アリエノールは自分の宮廷にいた下の2人の息子、リチャードとジェフリーをただちに兄のもとに向かわせ、さらには自分もこれに加わろうとした。しかしヘンリー2世に捕えられ、以降15年にわたってイングランドのソールズベリーに監禁された。1183年に若ヘンリーが死去すると、リチャードを後継者とするかわりにアキテーヌを末子のジョンに与えようとしたヘンリー2世の意思と対立、1169年にルイ7世(1180年に死去)の臨席のもと取り決められた大陸領土の分与は遵守されるべきと主張してリチャードを支持した。1189年のヘンリー2世の死去、及びリチャード1世の即位と同時に解放され、息子が第3回十字軍を率いて遠征すると、摂政としてアンジュー帝国を統治した。
1204年、80歳を超える当時としては稀な長寿を全うし、末子のジョンがイングランド王の時、隠棲先のフォントヴロー修道院で死去。

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打エルフ:アン・ボニー
Sacred2130902003
女性の海賊ですよ!捕らえられて裁判まで受けたなんて!
荒っぽそうなところが、打撃をMainとした打エルフに合っている・・・様な?

ウィッキペディアから引用:
アン・ボニー(Anne Bonny、Bonneyとも、1700年3月8日? [1] – 1782年4月25日?)は、18世紀のカリブ海で活動した海賊。ジョン・ラカムの手下の1人である。
多くが謎に包まれた人物であるが、女海賊の代名詞とも言われ、多くの伝説を残している。

アイルランドのコーク郡キンセールで、裕福な弁護士と妾のメイドとの間にアン・コーマック(Anne Cormac)として産まれた。不義を犯した父親は妻と職を捨て、アンとその母とを連れてアメリカサウスカロライナ州チャールストン近郊にプランテーションを購入して移り住んだ。
年頃になった頃、農場の生活に退屈していたアンは、チャールストンに居た三流海賊ジェームズ・ボニー(James Bonny)と知り合い、父の反対を押し切って駆け落ちし、バハマのニュー・プロビデンス(現・ナッソー)へと移った。

1719年5月、バハマの居酒屋でアンはジョン・ラカムと出会い、特赦によって海賊を廃業していたラカムが再び海賊稼業を再開すると決めたとき、アンは夫のもとを去りその手下に加わった。掟では女性は乗船を認められなかったため彼女は男装していたが、海賊仲間の間では女性であることは広く知られていた。一説にはラカムとの間に一子をもうけ、海賊行為を決意した際に地元民に預けたとも言われている。
ラカムが襲った船の乗組員で新たに海賊として加わった中に、美しい顔立ちの少年が居た。アンはその少年が気に入り、誘惑しようとするが、実はそれは男装して船に乗り込んでいたメアリ・リードであった。2人の関係を男女関係として問題視したラカムに説明を求められたが、ラカムは女性であったことを問題視せず、後に他の船員にも事実を公開し、そのまま共に海賊行為を続けることとなった。以後アンとメアリは乗組員中ただ2人の女海賊、それも男海賊すら一目置く2人組として交友を深めていった。アンは、銃の名手であったと伝えられる。
1720年10月にラカムの海賊船がバハマ総督から派遣されたジョナサン・バレットに捉えられたとき、怖気づいたラカムたち男性乗組員が船倉に逃げ込んだにも拘らず、アンはメアリと共に激しく抵抗した。 しかし衆寡敵せず、捕らえられてしまう。
1720年11月28日、先に裁かれたラカムら男性乗組員とは別にアンとメアリだけの裁判が行われ、死刑が宣告されたものの、2人は妊娠を主張したため、当時の建前上中絶を忌避する慣習に基づき、刑の執行は出産が済むまで延期されることとなった。結局、彼女たちの刑が執行された記録は無く、釈放されたのか否かはよく分かっていない。一説によれば、アンは有力者であった父によって赦免を得、1721年12月21日にジョセフ・バーリー(Joseph Burleigh)という男と結婚し、8人の子供をもうけ、1782年にサウスカロライナ州にて82歳で亡くなったといわれる[2] 。
伝説の女海賊として名を残した彼女は、現代にいたるまで多くの芸術・娯楽作品に登場する「女海賊」のモデルとなっている。
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天界セラフィム:アーデルハイト
Sacred2130902004
名前がなんとなく聖人にぴったりですよ・・・ね・・・
ネットから引用:
16日 聖アーデルハイト(931年ごろ-999年)
アーデルハイトは、フランス、ブルゴーニュのブルグンド王ルドルフの娘として生まれた。937年にイタリア王ロータル2世と結婚したが、不幸にも王は毒殺された。アーデルハイトは、夫を毒殺した者の息子と結婚するよう強要されたが、拒否したために城の中に幽閉された。しかし、951年にドイツの皇帝オットー1世がイタリア遠征に勝利したことで、彼女は解放された。そして彼女はオットー1世と結婚し、962年に皇帝とともに教皇ヨハネ12世から戴冠を受けた。皇帝の死後、息子が地位を継いでオットー2世となるが、彼との間に緊張関係が生じ、アーデルハイトは追放された。しばらくして息子オットー2世は謝罪し、彼女は再び国に戻れることとなったが、彼の死後またもや追放された。しかし、マインツ大司教の援助で、彼女は孫オットー3世の後見人となった。
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テンプル・ガーディアン:ロンサール
Sacred2130902005
有名な吟遊詩人だったとか。ピエールと呼んでもよいですね。
知的で秀でた能力のロンサール、でもちょっとひ弱なところがあって・・・という勝手なイメージを作って・・・そう、クリミナル・マインドのドクター・リードみたいな?打たれ弱いテンプル・ガーディアンにそのイメージを重ねます。(こじつけ!)

ネットから引用:
ピエール・ド・ロンサール
ロンサールは、ロワール=エ=シェール県クチュール=シュル=ロワールに近いラ・ポワソニエールの貴族の家で末っ子として生まれた。彼の一族は、ドナウ川の北のルーマニア一帯の出身だった。ボードゥアン・ド・ロンサールは14世紀前半にフランスへ来て、この地における一族傍系の礎を築いた。ピエールの父はロワ・ド・ロンサールで、母はジャンヌ・ド・ショードリエだった。母は貴族ではなかったが、貴族とは緊密な繋がりがあった。給仕長Maître d’Hôtel だったロワは、パヴィアでフランソワ1世が捕虜になった結果、ロンサールが生まれて間もなく旅立つこととなった。

彼は幼年期には家庭で教育を受けたが、12歳の時、パリのコレージュ・ド・ナヴァルへ送られた。彼は中世的な学校の厳格さを快く思っていなかったようである。しかしながら、彼は経験の欠如にもかかわらず王太子フランソワの小姓に列せられ、次いでその弟オルレアン公に仕えた。マドレーヌ・ド・フランスがスコットランド王ジェームズ5世と結婚した時には、彼に付き従い3年間をイギリスで過ごした。1540年にフランスに帰還すると、再びオルレアン公に仕えた。この職分は、彼に旅行の好機を与えた。彼はフランドルに派遣され、それから改めてスコットランドに派遣された。

程なく、彼の人生において最も重要な仕事に巡りあった。ジャン=アントワーヌ・ド・バイフの父ラザルの秘書となったのである。ジャン=アントワーヌは、ロンサールの友人でもあり、後にはプレイヤード派に加わることになる。この時、ロンサールやジャン=アントワーヌの家庭教師となったのが、ジャン・ドラである。ロンサールはこの時期に同じくベレー=ランジェー枢機卿の従者にも加えられていた。また、フランソワ・ラブレーとの架空の対話が行われたとされるのもこの時期である。

彼の前途洋々たる外交的な職歴は、しかしながら、不治の難聴に見舞われたことにより、突然の中断を余儀なくされた。そこで彼は、学問に生涯を捧げることを決意した。彼は学び舎として既に面識のあったドラが学長とギリシャ語教授を務めているコレージュ・ド・コクレを選んだ。ジャン=アントワーヌ・ド・バイフがロンサールに追随し、間もなくそこにジョアシャン・デュ・ベレーも加わった。この時期の同窓生に、マルク=アントワーヌ・ミュレもいた。彼は後にフランス悲劇の誕生に際し、重要な役割を果たすことになる。

ロンサールの勉学期間は7年に及んだ。古典ギリシャ・ラテン文学の根源の摂取を賞賛する、その文学的新潮流の最初の宣言「フランス語の擁護と顕揚」(1549年)は、友人デュ・ベレーにより執筆されたものである。この時プレイヤード派が実質的に産声を上げたといえる。ロンサールは、少し遅れて、処女作『オード』四部集(1550年)を公刊した。 1552年には、『恋愛詩集』と同時に『オード』第五部が出版された。これらの作品集は、フランス文学界に真の論争を巻き起こした。歴史はその時存在していた論敵や批判者を描き出している。マロ派(クレマン・マロの影響を受けた一派)の首魁メラン・ド・サン=ジュレは、国王の前でロンサールの詩を詠み上げる時に、こき下ろす目的で滑稽に詠んだ。しかし、ある時国王の妹マルグリット・ド・フランス(後のサヴォワ公妃)が、メランの手から詩集を取り上げ、詩本来の素晴らしさを活かして詠み上げた。詠み終わると、その詩に魅せられた大広間からは、割れんばかりの拍手喝采が沸き起こった。ロンサールが詩人として受け入れられたのである。

その栄光は急激で計り知れないものであった。大衆におもねる必要は全くなかった。1555年から1556年には、マルグリット・ド・サヴォワに捧げた『賛歌』を出版した。彼は1556年に『恋愛詩集』を完成させた。伝説では1560年にフランソワ2世と結婚したメアリー・スチュアートの要請で全集を編纂したという。1565年には、興味深い『フランス詩法の抜粋』と同時に『哀歌、仮面舞踏会、牧歌』を出版した。

1560年前後にはフランス王は目まぐるしく替わったが、ロンサールの立場が悪くなることはなかった。フランソワ2世の後に即位したシャルル9世もロンサールに魅せられた。こうした重用には、いささか負の効果もあった。シャルル9世の求めに応じた書『フランシアード』は、ロンサールのそれ以外の作品と等価なものではない。シャルル9世に撰ばれたのは、惜しむべきことにアレクサンドラン(1行12音綴)よりも1行10音綴の詩だったのである。

シャルル9世の死後も、ロンサールの宮廷での厚遇に変化はなかったようである。しかし、病状が悪化していた彼は、晩年を宮廷外で過ごすことを選んだ。彼は、ヴァンドームの自分の家や、そこから遠くないクロワ=ヴァル修道院に滞在した。またコレージュ・ド・ボンクールの学者ジャン・ガランの招きでパリにも滞在したことがあった。彼は恐らくフォーブール・サン=マルセルにも自宅を持っていた。
彼は多くの友に先立たれ、自身の病気は悪化していったので、その晩年は十分に悲劇的なものだったといえる。エリザベス1世を含む外国の君主たちは、彼に贈り物をすることがあった。
病状にも関わらず、ロンサールの創作はなおも優れた水準を保ち、晩年の作品のいずれをとっても傑作であった。フランソワ・ラス・ド・ヌーは、ロンサールに対抗する詩篇を執筆している。
1585年12月27日、ロンサールはトゥールのサン=コーム教会に葬られた。

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シャドウ・ウォリアー:ジル・ド・レ
Sacred2130902006
RPGをPLAYするとき、悪パーティに入れたいほどネーミングがよいです・・・よね?
:ネットから引用
ジル・ド・レ(Gilles de Rais, 1404年9月10日 – 1440年10月26日、ジル・ド・レーとも)は、フランス王国のブルターニュ地方ナントの貴族、レ(地名)男爵。フランス元帥。ギー2世・ド・ラヴァルの息子でギー・ド・ラヴァルの孫。母方の祖父はジャン・ド・クラン、曾祖父はピエール・ド・クラン。フランス王国大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランの曾姪孫に当たる。
レ (Rais) は所領の名前で、本名はジル・ド・モンモランシ=ラヴァル (Gilles de Montmorency-Laval) である。

ジル・ド・レは、1404年に生まれた。
1415年11歳の時、母マリー・ド・クラン死去。同年10月、父ギー2世・ド・ラヴァルがアジャンクールの戦いで戦死。幼くして両親を失い、遺言で禁じられていたにもかかわらず、弟ともども祖父ジャン・ド・クランに引き取られた。甘やかされて育ったという[誰?]。
この祖父は、領地を広げるために、ジル・ド・レを近隣の領主の息女カトリーヌ・ド・トアールと無理やり結婚させた。

成長し軍人となると、百年戦争のオルレアン包囲戦でジャンヌ・ダルクに協力し、戦争の終結に貢献し「救国の英雄」とも呼ばれた。
自分の領地に戻ると湯水のように財産を浪費し錬金術に耽溺。財産目当てのフランソワ・プレラティら詐欺師まがいの「自称」錬金術師が錬金術成功のために黒魔術を行うよう唆したことも加わり、手下を使って、何百人ともいわれる幼い少年たちを拉致、虐殺した。ジル・ド・レは、錬金術成功という「実利」のためだけではなく、少年への凌辱と虐殺に性的興奮を得ており、それによる犠牲者は150人から1500人だと伝えられている。

1440年、所領を巡る争いからサン=テティエンヌの聖職者を拉致・監禁したことから、告発され捕らえられる。公開裁判では、すべてを告白し泣きながら懺悔し、その場にいた人間たちに許しを請うた。このため絞首刑になり死体が火刑になった。火刑の際にジルの魂が救われるよう、民衆が祈りを捧げたという。ただし、ジルの評伝の一部は宗教裁判の審理において述べられたものであり、裁判官である司祭(財産を狙う政敵達)により故意に誇張された一面があることも否定できない。ジャンヌが異端として捕らえられ、火炙りになったことから精神を病んだのだとも言われる。

のちにペローの童話に登場する殺人鬼青ひげのモデルとなったと言われている。
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これからPLAY予定
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二刀セラフィム:ラ・ピュセル
Sacred2130902007
要はジャンヌですよ、ええ。(笑)
ウィッキペデイアより:
ラ・ピュセル (La Pucelle) は、フランス語で「乙女」や「使用人」を意味する単語である。転じて、以下のような用法でも使用される。
ラ・ピュセル - ジャンヌ・ダルクの異称の1つ。

ジャンヌ・ダルク(フランス語: Jeanne d'Arc、過去:Jehanne Darc[3]、IPA: [ʒan daʁk]、ユリウス暦 1412年頃1月6日[4] - 1431年5月30日)は、15世紀のフランス王国の軍人。フランスの国民的ヒロインで、カトリック教会における聖人でもある。「オルレアンの乙女」(フランス語: la Pucelle d'Orléans[5]/英: The Maid of Orléans[6])とも呼ばれる。
ジャンヌは現在のフランス東部に、農夫の娘として生まれた。神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収め、後のフランス王シャルル7世の戴冠に貢献した。その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡された。イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって「不服従と異端[7]」の疑いで異端審問にかけられ、最終的に異端の判決を受けたジャンヌは、19歳で火刑に処せられてその生涯を閉じた[8]。
ジャンヌが死去して25年後に、ローマ教皇カリストゥス3世の命でジャンヌの復権裁判が行われ、その結果ジャンヌの無実と殉教が宣言された[8]。その後ジャンヌは、1909年に列福、1920年には列聖され、聖ドニ、聖マルタン、聖王ルイ、聖テレーズと同じく、フランスの守護聖人の一人となっている。ジャンヌは、王太子シャルル7世を助けてイングランドに占領されていたフランス領を奪還せよという神の「声」を聞いたとされている。これを信じたシャルル7世は、イングランド軍に包囲されて陥落寸前だったオルレアンへとジャンヌを派遣し、オルレアン解放の任に当たらせた。オルレアンでは古参指揮官たちから冷ややかな態度で迎えられたが、わずか九日間で兵士の士気を高めることに成功したジャンヌは徐々にその名声を高めていった。そしてジャンヌは続く重要ないくつかの戦いの勝利にも貢献し、劣勢を挽回したシャルル7世はランスでフランス王位に就くことができた。
フランスを救い、シャルル7世の戴冠に貢献したことから、ジャンヌは西洋史上でも有名な人物の一人となった。ナポレオン1世以降、フランスでは派閥を問わず、多くの政治家たちがジャンヌを崇敬しているといわれる。世界的に著名な作家、映画監督、作曲家たちがジャンヌを主題とした作品を制作している。イングランドの劇作家ウィリアム・シェークスピアの戯曲『ヘンリー六世 第1部』、フランスの詩人ヴォルテールの詩『オルレアンの乙女 (en:The Maid of Orleans (poem))』、ドイツの思想家フリードリヒ・フォン・シラーの戯曲『オルレアンの乙女 (en:The Maid of Orleans (play))』、イタリアの作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの歌劇『ジョヴァンナ・ダルコ (en:Giovanna d'Arco)』、ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキーの歌劇『オルレアンの少女 (en:The Maid of Orleans (opera))』、アメリカの作家マーク・トウェインの小説『ジャンヌ・ダルクについての個人的回想 (en:Personal Recollections of Joan of Arc)』、フランスの劇作家ジャン・アヌイの戯曲『ヒバリ (en:L'Alouette (The Lark))』、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの戯曲『食肉市場のジャンヌ・ダルク (en:Saint Joan of the Stockyards)』、『聖女ジャンヌ・ダーク』として映画化されたアイルランドの劇作家ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『聖女ジョウン』、『ジャンヌ・ダーク』として映画化されたアメリカの劇作家マクスウェル・アンダーソンの戯曲『ロレーヌのジャンヌ』、デンマークの映画監督カール・テオドア・ドライヤーの映画『裁かるるジャンヌ』、フランスの映画監督ロベール・ブレッソンの映画『ジャンヌ・ダルク裁判 (en:The Trial of Joan of Arc)』、フランスの作曲家アルテュール・オネゲルが曲を書いたオラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』、カナダの詩人レナード・コーエンの楽曲『ジャンヌ・ダルク (en:Joan of Arc (Leonard Cohen song))』、イギリスのバンドオーケストラル・マヌヴァーズ・イン・ザ・ダークの楽曲『ジャンヌ・ダルク (en:Joan of Arc (song))』などである。現在に至るまで映画、演劇、テレビ番組、テレビゲーム、音楽などさまざまな媒体で、ジャンヌを題材とした作品が作り続けられている。

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ドラゴン・メイジ:ライムンド
Sacred2130902008
出生に影がある・・・そんな生い立ちを背負って、などと勝手にイメージして。(笑)
独特のBuildを組もうと思うのですが、落ち着くところは無難で退屈に?

ネットから引用
8月31日 聖ライムンド・ノンナート
1204年ごろ-1240年
ライムンドは、スペインのカタロニアで生まれた。母が難産のため亡くなったので、ライムンドは帝王切開で取り出され、そのため「ノンナート」(ラテン語で「生まれそこない」)という名前が与えられた。生涯に関する記録はほとんど分からないが、ペトロ・ノラスコが創立したメルセス会の修道会に入ったといわれている。北アフリカやスペインで、イスラムの捕虜となっているキリスト教徒の解放のために活動した。命を落としそうになったことも度々あったが、ライムンドは彼らを救うために命がけで使命を果たした。スペインに戻ったライムンドは、教皇グリゴリオ9世によって枢機卿に任命された。教皇は彼をローマに呼んだが、その旅の途中、カルドナで病に倒れて亡くなった。

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ドライアド:アルビルダ
Sacred2130902009
こちらも海賊さん!ドライアドは早くから作成してますが、まったく放置状態。
Buildもこれから研究ですね。

ウィッキペディアより引用:
アルビダ(Alwida)またはアビルダ(Awilda)あるいはアルビルダ(Alwilda)は、恐らく歴史上、最も古い時期に属す著名な女海賊。バルト海を舞台に活動した。一部の歴史研究者はその実在を疑問視するが、スカンディナヴィアの人々の間では、アルビダの海賊物語は事実と信じられている。
アルビダの名前表記は、海外では Awilda や Alwilda が一般的で、それが正しければ「アルビダ」との発音は正確ではないと思われる。その一方では、Alwida と書かれる場合もあり、日本のカタカナ表記はこちらの発音が一般化したものと考えられる。

アルビダは5世紀頃のスカンディナヴィア王女で、王は姫をデンマークのアルフ皇太子(crown prince Alf)と結婚させようとしていた。しかし、アルビダは父の申し出を頑なに拒み、複数の女友達と共に水夫の様な服を着て船を仕立てると、バルト海へと逃げ出した。
航海中、彼女たちは偶然にも、つい最近船長を失ったばかりの海賊船と出遭う。娘たちは勇敢にも彼らを何日間も逃がさなかったに違いない。海賊たちはアルビダを次の船長と認めたのである。海賊たちは大成功を収め、ついにはスカンディナヴィア中に名を知られるようになる。
時のデンマーク王は、我が子を選りすぐりの部下と共に海賊退治へと送り出した。アルフ皇太子一行は海賊船に乗り移ると戦いを優位に進めた。アルビダは王子の勇敢さがとても気に入り、戦いをやめ正体を明かすと、アルフと結婚することを決意したのである。
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インキュイジター:ていおう
Sacred2130902010
ぷっ!本当に「ていおう」そっくり!(爆)
「天体戦士サンレッド」に登場する地球侵略を狙うプリン星の帝王。

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つづく・・・(笑)

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コメント

正直デフォルトで設定されてると助かるんですけどね。
名前って見られて恥ずかしい物は付けたことないですけど、
中古で任天堂系ゲーム買うとたまに西洋キャラに平仮名の名前付いてたりするし。
他にも趣味が出るというか、厨二病全開な気がして少し気恥ずかしくは有ります。

私は大体「天使の辞典」って十年以上前に買った厚めの本に載ってるやつから適当に選んでます。
男ならザカリアス(教皇)だったり、ベセルダ(天使)だったり、フラワシ(天使)だったり、
女ならミスラ(元はゾロアスター教の天使、後に女神まで昇格し、実はクリスマスの起源は彼女の誕生日)、
他にも「アーサー王伝説」って昔の小説や、世界の神々や伝承系の雑誌から有名所を敢えて外したり。
まぁ、人に見られたら諸に趣味がバレます。ι(´Д`υ)アセアセ

ゲームのアカウントなんかでもたまに使うんですが、有名所は大体使われてるんですよね。
意味も含めてかっこいいのって探せばまだ有りますが、やはり数がそう多くないのが困り物。
ただ、日本のV系バンドでもラファエルってのが居ますが、実生活にまで使い出すと流石に引きます。( ̄Д ̄;;
ガリレオガリレイって名前のバンドをCMで見た時は唖然としましたからね…。(googleで検索するとシュール…)

こんばんわ♪いつも、見ていただいてありがとうございます♪

何気に操作するCharacterの名前ってこだわったりします・・・よね?(笑)
ネット放浪者さんは天使から選んでいるんですね!

私も昔から神話が好きだったこともあり、世界の神話の本を集めて読みふけったものでした。北欧、インド、ケルトなどなど・・・以前はその中から名前を拝借してつけていたりしたのですけど、やっぱり神様というと気持ち的に入り辛くて、最近はできるだけ実際に居た人間の英雄が好みだったりします。
WIZやTHE TEMPLE OF ELEMENTAL EVILでは三銃士から拝借したり。
つまらないところなのですけど・・・ね。(笑)

たとえばテンプルとかチュートン騎士団の歴代団長?の名前とか目新しくてよいかもですよ。バイヤンは剣の達人でロベールは技、デ・バレスは力持ち、などと脳内想像力でCharacterを作り上げちゃいましょうよ。(笑)

テンプル騎士団
ユーグ・ド・パイヤン(Hughes de Payens, 1118 - 1136)
ロベール・ド・クラオン(Robert de Craon, 1136 - 1146)
エヴェラール・デ・バレス(Everard des Barres, 1146 - 1149)
ベルナール・ド・トレムレ(Bernard de Tremelay, 1149 - 1153)
アンドレ・ド・モンバール(André de Montbard, 1153 - 1156)
ベルトラン・ド・ブランシュフォール(Bertrand de Blanchefort, 1156 - 1169)
フィリップ・ド・ミリー(Philippe de Milly, 1169 - 1171)
オドー・ド・サンタマン(Odo de St Amand, 1171 - 1179)
アルノー・ド・トロージュ(Arnaud de Toroge, 1179 - 1184)
ジェラール・ド・リドフォール(Gérard de Ridefort, 1185 - 1189)
ロベール・ド・サブレ(Robert de Sablé, 1191 - 1193)
ジルベール・オラル(Gilbert Horal, 1193 - 1200)
フィリップ・ド・プレシス(Phillipe de Plessis, 1201 - 1208)
ギヨーム・ド・シャルトル(Guillaume de Chartres, 1209 - 1219)
ペドロ・デ・モンタギュー(Pedro de Montaigu, 1219 - 1230)
アルマン・ド・ペリゴール(Armand de Périgord, 1232 - 1244)
リシャール・ド・ビュレ(Richard de Bures, 1245 - 1247)
ギヨーム・ド・ソナク(Guillaume de Sonnac, 1247 - 1250)
ルノー・ド・ヴィシエ(Renaud de Vichiers, 1250 - 1256)
トマ・ベラール(Thomas Bérard, 1256 - 1273)
ギヨーム・ド・ボージュー(Guillaume de Beaujeu, 1273 - 1291)
ティボー・ゴーダン(Thibaud Gaudin, 1291 - 1292)
ジャック・ド・モレー(Jacques de Molay, 1292 - 1314)

続いてチュートン騎士団
ハインリヒ・ワルポット・バッセンハイム(1198年 - 1200年)
オットー・フォンケルペン(1200年 - 1209年)
ハインリヒ・バルト(1209年 - 1210年)
ヘルマン・フォン・ザルツァ(1210年 - 1239年)
コンラート・フォン・テューリンゲン(1239年 - 1240年)
ゲルハルト・フォン・マールベルク(1240年 - 1244年)
ハインリヒ・フォン・ホーヘンローエ(1244年 - 1249年)
グンター・フォン・チューリンゲン(1249年 - 1252年)
ボッホ・フォン・オステルナ(1252年 - 1256年)
アンノ・フォン・ザンガースハウゼン(1256年 - 1273年)
ハルトマン・フォン・ヘルドルンゲン(1273年 - 1283年)
ブルヒャルド・フォン・シュヴァンデン(1283年 - 1291年)
コンラート・フォン・フォイヒトヴァンゲン(1291年 - 1297年)
ゴットフリート・フォン・ホーヘンローエ(1297年 - 1303年)
ジークフリート・フォン・フォイヒトヴァンゲン(1303年 - 1311年)
カール・フォン・トリアー(1311年 - 1324年)
ヴェルナー・フォン・オルセルン(1324年 - 1331年)
ルター・フォン・ブラウンシュヴァイク(1331年 - 1335年)
ディートリッヒ・フォン・アルテンブルク(1335年 - 1342年)
ルードルフ・ケーニヒ・フォン・ヴァイツァウ(1342年 - 1345年)
ハインリヒ・デューゼマー・フォン・アルフベルク(1345年 - 1352年)
ヴィンリッヒ・フォン・クニップローデ(1352年 - 1382年)
コンラート・ツェルナー・フォン・ローテンシュタイン(1382年 - 1391年)
コンラート・フォン・ヴァレンロード(1391年 - 1393年)
コンラート・フォン・ユンギンゲン(1393年 - 1407年)
ウルリッヒ・フォン・ユンギンゲン(1407年 - 1410年)
ハインリヒ・フォン・プラウエン(1410年 - 1414年)
ミヒャエル・キュヒマイスター・フォン・シュテルンベルク(1414年 - 1422年)
パウル・フォン・ルスドルフ(1422年 - 1441年)
コンラート・フォン・エルリックスハウゼン(1441年 - 1450年)
ルートヴィッヒ・フォン・エルリックスハウゼン(1450年 - 1469年)
ハインリヒ・ロイス・フォン・プラウエン(1469年 - 1470年)
ハインリヒ・レフレ・フォン・リヒテンベルク(1470年 - 1477年)
マルチン・トルホゼス・フォン・ヴェッツハウゼン(1477年 - 1489年)
ヨーハン・フォン・ティーフェン(1489年 - 1498年)
フリードリヒ・レフレ・フォン・ザクセン(1498年 - 1511年)
アルプレヒト・フォン・ブランデンブルク(1511年 - 1525年)
(プロイセン公1525年 - 1568年)
ヴァルター・フォン・クロンベルク(1527年 - 1543年)
ヴォルフガング・シュッツバール(1543年 - 1566年)
ゲオルク・フント・フォン・ヴェンクハイム(1566年 - 1572年)
ハインリヒ・フォン・ボーベンハウゼン(1572年 - 1590/95年)
マクシミリアン・フォン・エスターライヒ(1590/95年 - 1618年)
カール・フォン・インナーエスターライヒ(1618年 - 1624年)
ヨーハン・オイスタッハ・フォン・ヴェスターナッハ(1625年 - 1627年)
ヨーハン・カスパール・フォン・シュターディオン(1627年 - 1641年)
レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒ(1641年 - 1662年)
カール・ヨーゼフ・フォン・エスターライヒ(1662年 - 1664年)
ヨーハン・カスパール・フォン・アンプリンゲン(1664年 - 1684)
ルートヴィヒ・アントン・フォン・プファルツ=ノイブルク(1684年 - 1694年)
フランツ・ルートヴィヒ・フォン・プファルツ=ノイブルク(1694年 - 1732年)
クレメンス・アウグスト・フォン・バイエルン(1732年 - 1761年)
カール・アレクサンダー・フォン・ロートリンゲン(1761年 - 1780年)
マクシミリアン・フランツ・フォン・エスターライヒ(1780年 - 1801年)
カール・フォン・エスターライヒ=テシェン(1801年 - 1804年)
アントン・ヴィクトル・フォン・エスターライヒ(1804年 - 1835年)
マクシミリアン・ヨーゼフ・フォン・エスターライヒ=エステ(1835年 - 1863年)
ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒ(1863年 - 1894年)
オイゲン・フォン・エスターライヒ(1894年 - 1923年)
ノルベルト・クライン(1923年 - 1933年)
パウル・ハイダー(1933年 - 1936年)
ロベルト・シェルツキー(1936年 - 1948年)
マリアン・トゥムラー(1948年 - 1970年)
イルデフォンス・パウラー(1970年 - 1988年)
アルノルト・オトマル・ヴィーラント(1988年 - 2000年)
ブルーノ・プラッター(2000年 - )

RPGのキャラ作成時にどぞ♪

そうそう、アーデルハイトって聞くとどうしても「アルプスの少女ハイジ」が思い浮かびます。
ロッテンマイヤーさんがよくハイジをそう呼んでましたしね。( ^ω^ )

凄い名前が並んでますね。Σ(;・∀・)

今やってる「戦場のヴァルキュリア2」ってゲームにコゼット・コールハースってキャラが居るんですが、
コールハースってへんな苗字だなって感じてたんですよ。
それこそJustCause2のマサオワシオ位の違和感を西洋の人も感じてるのかなとか思ってたんですが、
このリストを見たら全然辺じゃないんじゃないかって思うようになりました。

ヴァルター・フォン・クロンベルク
こんなの見たら勝手に脳内でドイツ系貴族のイケメンが思い浮かんじゃいます。( ̄ー ̄)ニヤリ

え?アーデルハイトってアルプスの少女ハイジに出ていたんですか?
なんだか波乱万丈の人生を送った人のようだし(夫を毒殺した男と結婚しろと強要されたなんてねー)脳内で悲劇のヒロインを作り上げていたのですが・・・(笑)

例えばイギリスとかだとリチャード一世とか、ありきたりですからねぇ。
やっぱりGAME用はフランスとかドイツと相性抜群と思うのですよ。(笑)
歴代を順番通りに掲載なので、シリーズもののRPGをPLAYするとき、順々に使って行くのもひとつの手です。

ところで「戦場のヴァルキリア」ってPSPのGAMEなんですね。(ググってみました)
私はPCオンリーなので良く分かりませんが、ベッドで寝転んでPLAYってのも楽そうでいいなぁ。(笑)

出てたというか、アーデルハイトはドイツ名なんですが、その愛称がハイジって事らしいです。
だからクララの家ではアーデルハイトと呼ばれてました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115336856

序に、アン・ボニーって海賊がいるんですね。
私はボニー&クライドが真っ先に浮かびました。(Fallout:NewVegasの序盤に彼らの名前が出てきます)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%89

確かにヴァルキュリアの2と3はPSPですが、元々の一作目はPS3で、今やっても見劣りしない出来です。
あのXCOMの開発者も褒めていた戦闘システムBLiTZと、(結構似てますよXCOMの戦闘と)
2Dの水彩画と3Dグラフィックスの融合が特徴のCANVASってシステムで注目を集めた名作です。
PSPは少し劣りますがシステムはそのまま、アニメなキャラを許容できればオススメです。(難易度は高めですが)
スリープで使うのでゲームを止めるのも再開するのもスイッチ1つで一瞬ってのがPSPの良い所ですね。

なるほど!ハイジってあまり見た事がなかったけど、原作は農村生まれの少女に対する偏見などがあり、少し陰鬱な内容だったみたいですね。
>引用
アーデルハイドの愛称がハイジ。
原作の第6章に、ロッテンマイヤーが”ハイジ”をクリスチャン・ネームでないと切り捨て、洗礼名(アーデルハイド)を知らないハイジに立腹する場面がある(直後のデーテのとりなしが、また卑屈なこと卑屈なこと)愛称で呼ぶなんてとんでもない、という分け隔ての意識のあらわれだと思う。
--------------------------------------
ドイツ名ではアーデルハイトって洗礼名としても良く使われるのかもしれませんね。

いやぁ、こっちは初耳でしたよ。
引用>
ボニーとクライド(Bonnie and Clyde)は、1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返した、ボニー・パーカー(Bonnie Parker、1910年10月1日 - 1934年5月23日)とクライド・バロウ(Clyde Barrow、1909年3月24日 - 1934年5月23日)からなるカップルである。
ルイジアナ州で警官隊によって射殺されるまで、沢山の殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯した。当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌の下にあり、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼等の事を凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞も含めて英雄視する者も多かった。後にボニーとクライドの犯罪は何度か映画化された。
--------------------------------------
ここまで近代になってくるとFANTASY系には使えないものの、Borderlands2辺りにはピッタリ!かもですね。

そーそー、XCOM:Enemy UnknownはGamersGateのSALEで入手したものの手付かずです。The Humble Bundleで購入したEAの数本なんて、いつPLAYできるのか。(笑)
やっぱり当分はSacred 2:Ice & BloodとBorderlands2で十分かなぁ。

コンシューマはちんぷんかんぷんですが、いろいろな方が読むことかと思いますので、参考になるかと思います。
見る限り面白そうですねぇ。思考型は携帯に向いていると思います。

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